2014年11月05日

トマス・ハーディ『日陰者ジュード』

最終更新 2018/07/16 Ver.1.08

Thomas Hardy, Jude the Obscure, 1896
1996年英国映画『日蔭のふたり Jude
[ 原文テキストは Project Gutenberg でダウンロード可能 ]

『テス』で知られる文豪ハーディ (1840-1928) の小説。『日蔭のふたり』のタイトルで公開されたマイケル・ウィンターボトム監督作品(主演クリストファー・エクルストン、ケイト・ウィンスレット)の原作。1896年に単行本として刊行されたが、あまりの不評ゆえに、ハーディは以後二度と小説を書かなかったといういわくつきの作品だ。



1996年の映画版『日蔭のふたり』予告

Jude the Obscure.jpg

Internet Archieves より 1896年米国版の挿絵

映画版も暗かったが、原作(わたしは千城版の小林清一訳を読んだ)はさらに悲惨。この本を燃やして灰をハーディに送りつけた読者がいた[*]、というのも納得してしまう。ストーリーを簡潔に述べると、ヴィクトリア朝の英国で、孤児の貧しい石工ジュードが、聖職者になる夢を見て懸命に独学するも、ふたりの女性――肉感的なアラベラと知的な従妹のスー、そして恩師との4角関係に苦しみ、ついには志を果たせぬまま若死にするというもの。

* 同書を燃やした人物として常に名前があげられているのが、ウェイクフィールドの初代主教ハウ Bishop of Wakefield (William Walsham How 1823-1897) だ。ただし燃やした「とされる」と紹介されることが多く、本当に焚書の事実があったのかは不透明。灰を送りつけたのはまた別の読者で、オーストラリア在住の人物だったという。なお1888年に創設された Wakefield の主教座は2014年に廃止されたが、その名は『ジュード』とともにこれからも言及され続けるだろう。[2016/1]

作品のテーマはいくつかあるが、聖書に関連した部分を取り上げてみたい。

まず、Jude(12使徒の一人、タダイ Thaddeus の別名)という主人公の名前は尋常ではない。Judas でこそないものの、これは明らかにイスカリオテのユダを連想させる名前であり、また、従妹の名 Sue と合体させると Jesu (Jesus) になる。従妹スーのフルネームは Susanna Florence Mary Bridehead、ユリの花のような聖母のごとき花嫁ということで、性的潔癖さを連想させる名前だ。

小説の扉にあげられた言葉は “The letter killeth”、すなわち2コリント3:6の「そは儀文は殺し、靈は活せばなり」の前半部分である。letter とは、ジュードが懸命に勉強する書物のことというより、社会や個人のいわゆる形式主義のこと。貧しい生まれのジュードは、この「形式」によって向学心を叩き潰され、さらには、「神の合せ給ふものは、人これを離すべからず」という聖婚の誓約によって、真に愛する相手と添い遂げることができず、社会のどこにも居場所を見いだせぬまま、追い詰められていく。

ハーディはかなり聖書に親しんでいた人のようで、各章の扉にある言葉には旧約外典からの引用が多く、本文中にも、スーの言葉として「新約の外典のお薦めはクーパー編の Apocryphal Gospels」「ニコデモの福音はすごくいい」とか、「聖書をばらして新しい新約を作ってあげる」なんて台詞が出てくる。この新しい新約とは、書かれた年代順に並べるというもので、最初はテサロニケ、書簡、福音書と、当時の最新の聖書研究を踏まえたもののようだ。

ただし、新約外典を読むとか聖書をばらすとかいうことは、当時の社会ではまだタブーだった。また、雅歌の各章冒頭についている synopsis の内容を、スーが「文学的な大罪」と非難する場面があり、これもかなり大胆な意見だろう。(今もあるのかどうか不明だが、昔の KJV にはそんな要約付きの版があったらしい。わたしがその実物を目にしたのは、中軽井沢の「内村鑑三記念堂(石の教会)」地下の資料室でのこと。内村鑑三が所蔵していた英語の新約聖書(見返しに「May 14 1926」の文字あり)の展示があり、見開きになった2テモテの冒頭に簡単な synopsis がついていた)

それにしてもジュードの独学は素晴らしい。働きながら、ただ書物のみを師として、ラテン語とギリシャ語をマスターしてしまうのだから。この2つの語学は、国教会の聖職者を養成するオックスブリッジに進学するための必須科目だった。ただし、悲しいかな、厳格な階級社会だった当時、石工のジュードは大学からまったく相手にされない。酒場で職人仲間からクレドをラテン語で唱えてみろと請われて、ニケア信条を暗誦してみせたり、ラテン語で書かれた案内板をすらすら翻訳して周囲の目を見張らせたりはしても、それでどうなるものでもない。彼は貧しい職人のまま……

わたしが思うに、ジュードの悲劇は<国教会の>聖職者を目指した点にありそうだ。国教会の牧師は<紳士>の profession(知的専門職)であり、非国教派やカトリックの聖職者と異なり、当時はまだ社会の上層の人々にしか門戸が開かれていなかった。これがもしカトリックの司祭を目指したのであれば、見どころのある少年だ、ということで必ずや(『赤と黒』のジュリアンのように?)パトロンが現れて神学校の学費を負担してくれ、また、女性にも努めて近づかず、不幸な結婚を避けられただろうに。
もしくは、イングランド国教会の「宣教師」を目指して、たとえば Church Missionary Society College, Islington に入学できていたら、彼の人生はまったく変わっていただろう。遠いアジアかアフリカの地に派遣され、それなりに充実した人生を送れたはずだ(実際に日本に派遣された宣教師のなかには、出自が必ずしもりっぱではない人もいたので)

    当時の国教会聖職に按手されるための要件については、たとえば1872年版の The Book of Church Law の p.378以下(ネット版はこちらから閲覧可能)、また1899年の第8版 The Book of Church Law, p.188以下(ネット版)などを参照。

ただし、彼の場合、「神の働き人たれとの召命を受けた」というより、「好きな学問の道に進んで出世したい」という野心を持っていた(当初は bishop か archdeacon になりたいと思い、のちに僻地の村か都会のスラムの curate が関の山かと腹をくくる)。だから「大学進学」、しかも憧れの名門オックスフォード(小説中の仮名はクライストミンスター Christminster ―キリストの教会堂―というのも意味深)しか眼中になかったのも敗因だったかもしれない。

紆余曲折のあげく、自分を拒否したオックスフォードに舞い戻り、華やかな大学祭の日に、誰にも看取らぬまま死んでいくジュード。彼の唇から洩れるのは、ヨブ記の3章だ。
「我が生れし日亡びうせよ……何とて我は胎より死にて出でざりしや……」

ゴシック+カトリック風(ハイチャーチ)テイストというのはジュードの憧れの町オックスフォード(クライストミンスター)の特徴なのだが、なんだか否定的なニュアンスで描かれている点に注目してしまう。

たとえば、スーとジュードがデートの場所を相談する場面がある。「まず Wardour、それから Fonthill に行こうか」とシュードは言うのだが、この Fonthill が悪名高いゴシック建築、あの『ヴァセック』を書いたウィリアム・ベックフォード William Beckford の建てた屋敷の廃墟。そのためスーは勘違いしたのか、Wardour もゴシックの廃墟でしょう、ゴシックは嫌いだという。いいや、あれは古典式、コリント式だったと思うと返答するジュード。(Wardour Castle は、古いカトリック貴族たるアランデル男爵家の屋敷なので、それで Sarto, Reni, Ribera とかの宗教画があふれていたらしい。屋敷そのものは1770年代築の Palladian で、写真を見たら確かに正面の柱はコリント式になっている)。

ハイチャーチということで指摘すれば、子どもたちの骸を前にしてジュードとスーが茫然自失していた時、窓から聞こえてきたのが、二人の聖職による「東面式 (the eastward position)」についての会話だったりする。まさにハイチャーチ的話題である。自由な近代女性だったはずのスーが、最後はすっかりハイチャーチの儀式的な教会に入り浸る女性に変貌してしまう皮肉。しかも、だからといってスーは心の平安を得るわけではない、さらなる皮肉。

それにしても、スーはまったく複雑な女性である。わかるような、わからないような。自分なりの理屈で、相手との性的関係を拒否したり受け入れたりするあたり、男性側からしたらストレスがたまりそうだ。アラベラの方は、「女が生きていくためには、男をつかまえて正式に結婚しなくちゃ。セックスはそのための武器よ」という思想で、単純明快なのだが。(ハーディのまた別の女主人公、テスにアラベラの図太さを半分わけてあげたかった!)

「結婚」とはなんなのか。この小説を読んでると暗澹たる気持ちにさせられるが、スーが「自分を罰するために結婚を完遂」する場面は圧巻。やはりこれは、スーとフィロットソンがキリスト教の「教会で」結婚したからなのだろう。ふたりが登記所で結婚していたら、またスーの心理は違っていた気がする。

ただし、ハーディが最初に雑誌にこの小説を発表したとき、スーは誰とも最後まで性的関係を持たない設定になってたそうで(だから上記の結婚完遂場面もない)、そうなるとまた話が相当違ってくる。

この『日陰者ジュード』を読んでから、カンタベリー大主教(当時。Dr George Carey のこと)の経歴を読む機会があり、驚いた。病院の掃除人を父にもち、イレブンプラス試験に落ちて15歳で就職。徴兵で空軍に入隊、召命を受けてロンドン大学と神学校へ――つまり、上流の出身でもないし、オックスブリッジも出ていない。そのような人物でも国教会の大主教になれる時代がもう来ていたのだ。さらには、なんと、2005年にはヨークの大主教にウガンダ出身の黒人が選ばれた。百年後にそんな未来が来ることを、ハーディにも教えてあげたかった、本当に。

もうひとつ、この作品のタイトルが世にも美しいバラの名前につけられたことも! 1995年にDavid Austin が生み出した English Rose、その名も Jude the Obscure(ジュード・ジ・オブスキュア)の画像はこちら [ Rosegathering: Jude the Obscure ]


※邦訳聖書の引用は、文語訳を用いた

[JUN-2000/NOV-2000/APR,JUN-2006/JAN-2015/JAN-2016/MAY-2018]
posted by やぎたに at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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