2014年09月06日

「枝の主日」は何の枝?

イースターの一週間前の日曜日を、ラテン語で Dominica palmarum、英語では Palm Sunday もしくは Passion Sunday という。日本の正教会では「聖枝祭」、カトリックでは「受難の主日(枝の主日)」、ルーテルでは「枝の主日(受難主日)」、聖公会では「復活前主日」と称する。他のプロテスタント教会では「シュロの主日」と呼ぶところが多い。

聖書のなかの「枝」 ――シュロかなつめやしか

この「枝」とは、エルサレム入りしたイエスを歓迎するために群衆が用意したものだ。聖書から引いてみよう。(引用は、特に断りのないものは新共同訳)

マタイ21:8◆大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。
マルコ11:8◆多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。

この植物の名前が具体的に示されているのは、ヨハネ伝である。

ヨハネ12:12-13◆その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。 「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」
というわけで、枝は「なつめやし」となっている。ナツメヤシの英語名は date palm、学名 Phoenix dactylifera。乾燥熱帯域で栽培されるヤシ科の高木で、メソポタミア付近の原産とされる。中東では都市部以外はいまだにこの実を主食とする地域もあり、砂漠を移動する民にとって文字通り命を繋ぐ食料。生命の樹であり、豊穣や富の象徴、ユダヤや古代ギリシャ・ローマでは勝利の象徴とされた。民衆がイエスを迎えるのに、まことにふさわしい植物といえるだろう。ちなみに、現サウジアラビア王国の国章でもある。 [ ナツメヤシ 参考写真 ]

ただしこれは1987年に刊行された日本聖書協会・新共同訳が採用した語で、それ以前の翻訳を調べてみると、

  ●1955年の口語訳(新約は1954年に完成):「しゅろ」
  ●1917年の大正改訳(現在手に入る文語訳):「棕梠(しゅろ)の枝」
  ●1887年の明治訳(文語の元訳。新約は「翻訳委員社中」により1880年に完成):「椶櫚〔「椶」は「棕」の旧字〕」の「葉」


上記の通り、1880年から1987年まで1世紀以上に渡って「しゅろ(シュロ)」の語が採用されていたことになる。ヤシ科の植物は熱帯や亜熱帯に分布するものがほとんどだが、シュロはそのなかで、日本のような暖温帯に生育する数少ない種。江戸正保年間に中国から渡来したシュロチク(棕櫚竹/椶櫚竹)は観葉植物として人気があるし、家紋には「棕櫚紋」もある。要するに、ヤシ科植物といえば「シュロ」というイメージが日本人のなかにあるのだろう。

翻訳とは、元来「ある文化圏の言葉を、別の文化圏の言葉に置き換えること」であることを思い起こせば、日本に生育しないナツメヤシの代わりにシュロが用いられたのは納得できる。

さて、お隣の中国ではどの漢字を当てているのだろうか。シュロは中国原産とされているのだから、同じ「棕櫚」だろうと予想して漢訳聖書を調べてみたら、意外な結果が待っていた。

まず調べてみたのは、1813年に出たロバート・モリソン Robert Morrison 訳の『耶蘇基利士督我主救者新遺詔書』である。マタイは「樹(二文字おいて)枝」、マルコは「樹之枝」、そしてヨハネ12:13の植物は「吧唎嗎樹之枝」とある。この植物名が何を指すのか辞書で調べたわけではないが、漢字を見た限りでは、ラテン語の palma(パルマ)の音に単純に漢字を当てはめたもののように思える。

次に、文語訳に取り組んだ「翻訳委員社中」が最も参考にしたといわれているブリッジマン・カルバートソン Bridgman-Culbertson の新約聖書(初版は1859年、筆者が参照できたのは1863年版)を見てみよう。マタイ、マルコは同じく「樹枝」、ヨハネはといえば、「棗枝」になっていた。棗――すなわち「なつめ(ナツメ)」である。この植物はクロウメモドキ科の落葉高木で、ヨーロッパ南東部およびアジア西南部の原産(中国原産とする説あり)で、中国では古来からの重要果樹とされ、その実は料理・薬用のほか、冠婚や神々との交歓に欠かせない果実として用いられてきたという。ナツメの樹の形状がヤシ科のナツメヤシとは似ているとはいいにくいが、中国語ではナツメヤシのことを「無漏子」か「波斯棗」という(『園芸植物大事典3』小学館・1989/p.454)そうなので、「棗」の字が入っていることから、やはりナツメとナツメヤシの間にはなんらかの共通するイメージがあるのだろう。果実が地域の人びとから重要視されているところだろうか。

なお、1852年の代表(委員会)訳や1853年のゴダード (J. Goddard) 訳も、ブリッジマン・カルバートソン訳とまったく同じ語が使われている。 0john_shanhai1902.jpg ほかに、日本の明治訳よりあとの時代に出た漢訳聖書を見てみた。1902年の新約聖經(上海)では、マタイとマルコは「樹枝」、ヨハネは「巴勒瑪樹枝」になっている。この版には、興味深いことに、ヨハネの該当箇所に注釈あり! 右の画像で確認していただきたいが、「巴勒瑪樹棕類株高而結果果形似棗」――棕梠の仲間で背が高く、果実がなつめに似ているという。ともあれ、ロバート・モリソン訳にあったのと同じように、「巴勒瑪」は中国の植物名というより、単に音で palma(パルマ)を示しているように思われる。(右画像はヤギタニがデジカメで撮影し、加工したものです)

というわけで、以上に紹介した漢訳聖書では「棕梠」の訳を採用していない。

この他、ランダムに開いてみた漢訳聖書(詳しくは下の表を参照)では、いずれもマタイとマルコは「樹枝」、ヨハネは「棕樹枝」となっていた。「棕樹」とは、日本で言うシュロのことだろう。樹枝/棕樹枝とした翻訳でネットで発見した一番古い訳は1902年 American Bible Society(米国聖書会社)発行の英中対照新約全書。ヨハネにある「樹枝」の「」は「棕」の異字体だ。

以上、刊行年で推し量る限り、この植物にシュロの漢字を当てた世界ではじめての聖書は、実は日本の明治訳なのかもしれない。

“Palme”の聖書における漢訳/和訳
聖書の版と刊行年マタイ(馬太)21:8マルコ(馬可)11:8ヨハネ(約翰)12:12
Robert Morrison 訳耶蘇基利士督我主救者新遺詔書 1813年樹〔二文字おいて〕枝樹之枝吧唎嗎樹之枝
代表(委員会)訳新約全書初版1852/1866年版樹枝樹枝棗枝
J. Goddard 訳聖經新遣詔全書1853年樹枝樹枝棗枝
Bridgman-Culbertson 訳 新約聖書初版1859/1863年版樹枝樹枝棗枝
文語訳・明治訳(元訳)1880/1887年樹枝〔きのえだ〕樹の枝椶櫚〔しゆろ〕の葉
ハリストス正教会訳1885年樹〔き〕の枝樹の枝椶櫚〔しゆろ〕の枝
ラゲ訳1910年樹の枝樹より枝を〜椶櫚〔しゆろ〕の葉
文語訳・大正改訳1917年樹〔き〕の枝樹の枝棕梠〔しゆろ〕の枝
口語訳 1954/1955年木の枝葉のついた枝しゅろの枝
塚本虎二訳1930〜44/ 53〜58年木の枝小枝棗椰子〔なつめやし〕の枝
バルバロ訳 1953〜59/ 1964年木の枝木の枝しゅろの枝
新改訳 1965年木の枝木の葉を枝ごと〜しゅろの木の枝
フランシスコ会聖書研究所訳1962/66/69年
*ヨハネ改訂新版 1989年
木の枝小枝なつめ椰子の葉
*未確認
共同訳 1978年木の枝葉の付いた枝しゅろの枝
リビングバイブル 1978年木の枝葉のついた枝しゅろの枝
新世界訳 1985年木の枝葉のついた枝やしの木の枝
新共同訳 1987年木の枝葉の付いた枝なつめやしの枝
現代訳〔改訂新版〕
尾山令仁訳 1994年
木の枝木の葉を枝ごと〜しゅろの枝
岩波訳 佐藤研訳/小林稔訳 1995年木の大枝枝葉なつめ椰子の枝
【参考】 明治元訳以降に出た漢訳の例
新約聖經(上海)1902年樹枝樹枝巴勒瑪樹〔巴勒瑪樹棕類株高而結果果形似棗〕枝
新約全書 中西字(横浜・福音印刷)1902年樹枝樹枝椶樹枝
新約全書 上海聖書公會・上海美華聖經會(上海)1932年樹枝樹枝棕樹枝
新約全書 中英文合璧(香港)1951年樹枝樹枝棕樹枝
新約全書(中国)1980年樹枝樹枝棕樹枝
取材協力:聖書図書館 [ 日本聖書協会 http://www.bible.or.jp/main.html ]


以上、聖書の翻訳における「枝」を考察してみた。

教会で用いられる「枝」 ――オリーブ、ネコヤナギ、そしてシュロ

教会の世界では、先に触れたように「枝の主日」という表現が使われている。たとえば、フランス語では“Dimanche des Rameaux”、スペイン語とポルトガル語では“Domingo de Ramos”、いずれもずばり「枝の主日」の意味。ラテン語の 「palma(手のひら)」を起源とする言葉を用いるのはイタリア語の“Domenica delle Palme”、英語の“Palm Sunday”、ドイツ語の“Palmsonntag”など。いずれも「palme の主日」という意味になるが、この Palme/Palm/Palme は葉の形が開いた手に似たヤシ科の植物の総称であり、またそれに似た植物、代用とする植物に対しても用いられる。

「枝の主日」の「枝」に具体的な植物名を宛てているのは、ローマ・カトリック教会である。

    ヘブライの子らはオリーブの枝を手にもって 主キリストを迎え 喜びの声をあげた
    ――『典礼聖歌』315番「ダビドの子」より


米国カトリック教会・ミサ典書(英語)の Palm Sunday のページでも、“olive branches”の語がある。この日にオリーブの枝を用いることを慣習とする地域の代表は、イタリアなどの南欧諸国だ。紅山雪夫著の『ヨーロッパの旅とキリスト教』という本を開いてみると、以下の記述がある。

この日〔シュロの日曜日〕に南ヨーロッパを旅していると、葉付きのオリーブの枝を手にした人々が街を歩いているのをよく見かける。聖書の記述ではナツメヤシなのだが、ヨーロッパではいくら南に行ってもナツメヤシはごく一部の地域にしか生えていないので、古代ギリシアの昔から平安のシンボルとされてきたオリーブで代用する習慣が生まれたのだ。(中略)

オリーブが育たない地域では何かほかの常緑樹の枝を使う。この枝に紅白の布を縞模様になるように巻き付けたり、色美しいリボンを垂らしたり、花とか模型の果物などを取り付けたりする所もある。このようにシュロの日曜日のために特別の飾りつけをした常緑樹の枝もやはりパルム(ヤシ)と呼ばれる。
――紅山雪夫『ヨーロッパの旅とキリスト教』 創元社・1996/pp.292-93

すなわち、書物の上の翻訳ではなく、実際に教会の行事で何の枝を用いるかという話になると、その選択は地域によってさまざまなのである。

フランスでは“buis bénit”という言葉があり、枝の主日には「ツゲ(仏語 buis / 学名 Buxus sempervirens)」の枝が教会で祝福され、信者に配られる。  [ ツゲ 参考写真 ]

英国では、ヤシ科の植物もオリーブも自生しない。そのため“Palm”の代用といえば、まず Goat Willow(学名 Salix caprea)という柳の枝、いわばネコヤナギである。別名 English Palm、(Great) Sallow、Palm Willow、Pussy Palm、Pussy Willow、スコットランドでは Kilmarnock Willow とも呼ばれる。“Pussy”の通称は猫の尾に似た雌花の花穂に由来するが、教会に飾られるのは、金色の花穂のある雄の枝のほう。この柳はヨーロッパから北東アジアまで分布しているが、残念ながら日本では見られない。 [ Goat Willow 参考写真 ]

ほかに、地域によってはハシバミ (hazel)、イチイ (yew)、月桂樹 (laurel)、カラマツ (larch)、ドイツトウヒ (spruce fir) なども用いられる。特にケント州東部では、“palm”といえばイチイのことを指すという。

ちなみに、聖地巡礼した人のことを“palmer”と呼ぶが、これは巡礼の印に“palm”の葉か枝を持ち帰ったことに由来する。その際の palm はおそらくは本物のナツメヤシ、もしくは他のヤシ科の植物だったはずで、その葉で十字架を作って記念品とした。そのため、聖公会では現在でも Palm Sunday に同種の十字架を信徒にくばる教会がある。なお、唯一のヨーロッパ(地中海沿岸)原産の palme には、学名 Chamaerops humilis(矮鶏唐棕櫚/チャボトウジュロ/チャメロップス、英語通称 Dwarf fan-palm, European fan palm, Mediterranean fan palm, windmill palm)というヤシがあり、英国に入ってきたのは1731年だという。



十字架の作り方動画(イラストによる解説は こちらのページ


ドイツではどうだろうか。植田重雄の『ヨーロッパ歳時記』から引用させてもらおう。

オリーブや棕梠のような植物は一般にヨーロッパ中部以北にはないので、樅や榛(はしばみ)などを飾り木として、これにあざやかな布や紙を巻き、輪型にしたり、若枝や花をとりつける。飾りつけは千差万別で、その飾り木の柱は樅や松であり、皮をはいで色を塗り、紅白の布を巻き、金銀の紙や金具で飾り、リボンをたらす。樅の緑の葉でクランツを作ったり、柳、白樺、柊の赤い実、冬青(そよご)などをあしらう。あるいは木製の卵、林檎やパンをつるしたり、リボンをたらす。突端に十字架や「アベ・マリヤ」などの文字を入れる。前年の枯葉のついている枝をさすのが正式といわれている。
――植田重雄『ヨーロッパ歳時記』岩波新書・1983/p.114

というわけで、大変に凝った「飾り棒」を作り、子どもたちがそれを持って“Palmsonntag”に通りを練り歩くという。上記の本にはヴァルトキルヘという町の「棕梠の日曜日」の行進の写真も載っているが、この飾り棒、ヤシ科の植物のモチーフが見当たらないので、説明がなければとても“Palme”とわからなかったかもしれない。丈が3メートルくらいありそうな、立派なものだ(日本の七夕の飾りを連想する)。

樅(クリスマスツリーに使うドイツトウヒ)、ハシバミ、ヤナギを用いるというところは英国と似ている。これらのお手製の Palm は教会で祝福してもらい、家や納屋、畑などにも立てて幸運と豊穣を祈願するそうだ。またまた日本風にいえば、魔除けの縁起物というところか。なお、フランスの「枝」である「ツゲ」を指すドイツ語はいくつかあるが(Gemeiner Buchsbaum など)、そのなかには Palm の語も入っていることに触れておこう。実に Palm は多種多様なのだ。

北欧やロシアでは、ネコヤナギの枝を使う。こちらのサイト[ПАСХА]の説明によると、聖枝祭はロシア語では Вербное воскресенье(ヴェールブノエ・ヴァスクレセーニェ=ネコヤナギの日曜日)と呼ぶそうだ。

日本の北海道の正教会でもネコヤナギが用いられるが、興味深いことに、明治時代(1901年4月)には神田のニコライ堂で「ここ二、三日でほころびかけたサクラの小枝」が使われたという記録がある( 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』岩波新書・1996/p.114)。

なお、日本のカトリックや聖公会の教会ではシュロかソテツの葉を用いることが多いようだ。 [ ヤシ・ソテツの仲間 参考写真 観葉植物熱帯草木熱帯果樹図鑑 ]

    ★おまけ★ スペイン語で復活祭のことを「花の季節」Pascua florida = Pascua de Resurrección = feast of flowers という。アメリカのフロリダ州 (Florida) は、1513年の復活祭にスペイン人によって発見されたため、この名称にちなんで名づけられた。ところが、イタリアで「花の季節」=Pàsqua fiorita といえば「枝の主日」= Domenica delle Palme の意味となり、一週間ずれるところがおもしろい。
    参考
  • OED2 on CD-ROM Ver.1.10, OUP 1994
  • Field Guide to the Trees and Shrubs of Britain, Reader's Digest, London 1981
  • CD-ROM版 世界大百科事典 第2版 日立デジタル平凡社 1998
[APR-1999/FEB,MAR,MAY-2006/OCT-2014/SEP-2015]
posted by やぎたに at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ことばのトピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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